2013年6月2日日曜日

おとめごころが傷つくの

 さて世の中はなんと6月になっていて 梅雨入りなんてしちゃって
めっきりと 夏 な雰囲気も満載になってきたのです。

 物理的には 何かが大きく変わった ということもなく
たとえば紹介してもらった男子には いかがか とおもう
断られ方(無視) をされてみたり そういう
起こる出来事 みたいなのが さほどむかしと変わらないのでした。

 それでも クラス会がたのしかったり
まいにちじぶんの中にわきおこる感情やらなにやらが
とてもエキサイティングでわくわくするようなときもあったり
トモダチと出かけていっぱい笑ったり 
ゴハンやお酒をほんとうにおいしいな と思ったり
そういうことは むかしとはずいぶんちがうものだなぁ と感じます。

 では。 わたしの何が。

 おそらく いまのわたしは 高校〜大学院生だった
いわゆる思春期青年期といわれる 
若さときらきらが爆発していてしかるべきときと比べても 
ずっと たのしそう だとおもう(実際たのしい)し
見た目も残念ではない とおもいます。
きっと Facebookなんかでわたしを見ている当時の同級生たちからも
そう思われているだろうな とおもっています。
さっきからじぶんで言うなよバカ みたいな感じだけど 
でも そう思います。

 それでも いま わたしを恋愛対象として見ようとする男子はいないし
いざわたしをそういう可能性があるものとして目の前にしたときに
ちょっと・・・ と思われていることも どうやら確かなわけですよ。

 もちろん とてもかなしいし オトメゴコロのようなものは
少々傷つきます。 やっぱりわたしが不細工だからなのか?
スペックがわるいからなのか? などのことを思いそうになったりも
してしまうわけです。男性から いいな って思ってもらえないことには
すごくすごく なれているけど その なれるにあたって
むかし常用していた言い訳を つい するすると
ゴミ箱から拾ってきて 使ってしまいそうになるのです。

 でも それは とてもよくないことだ とも思うし
たぶん いまわたしが まだ出会えずにいることには
むかしとは違う理由があるのだろうな というふうにも
どこかではわかっている つもり です。

 それは わたしがパートナーに何を求めているのか が
はっきりしていない ということ。

 パートナーとどういう関係を築いてゆきたいか はわかっている。
どうしてわたしはパートナーが欲しいのか ケッコンしたいと思うのか
は わかる。 でも どんな人と?

 その問いに対し、「行間の読めるひと」みたいな
まえの恋愛の反動としか言えないようなこたえしか
わたしにはまだ思い浮かばないのです。

 一緒にお酒が飲めて キライなことが同じで 
という むかしから一貫してあるもの以外に。もっと具体的に。

 わたしが何かに目をつぶらなければならないような相手はイヤだなぁ
というのもある。 わたしがじぶんにウソをつかなければならない点が
出てこないひと というのがいいなぁ とおもう。 けど
それは わたし側のこころもちや わたし側の成長と大きく関わっていて
そういうひと というのがいるわけではないようにおもう。

 などなど長々つらつら書いていて。

 認めましょうよ。わたし 傷ついてるんだ。
このまえ紹介してもらったひとに無視されたことに。
いまのわたしをみて 積極的に いいな と言ってくれるひとが
いない というこのいまの現実に。

 ほんと まだまだですね。 

 でも こんな 見る人がみれば くだらねーなー っていう
そういうぐずぐずをやる というのもまた わたしの道。
わたしはわたしなんだもの。 ここからだけは 逃げられないんだもの。




 

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