さてさてもう4月も中盤。 はやいものですね。
人生はめまぐるしくいろんなことが起きる劇場みたいなもので
じぶんが何かに気付こうと本気で思って見渡してみると
それはそれはもう いろんなことが起きているのです。 ね。
みんなそれぞれ生きてて ひとはそれぞれ そのひとの何か を
まっとうするために生きてて つい じぶんを肯定したいから
レベルがどうこう みたいなこと 言っちゃう。
じぶんが上で じぶんを苦しめたりなんだりしたひとが下で
とかみたいな。
でも ほんとうはそういうことじゃないんだ。
わたしはわたしを肯定したいから わたしのいる場所を
上であると思いたい ようなこともあるけど
でも 上であることなんてなくて ただ わたしはわたしの場所にいる
という ただそれだけのこと。
いる場所が違う という ただそれだけのこと。
このまえ失恋したあのひとも
わたしよりいろんなことに気付けないひと だから
さよならしたんだ くらいに思っていたけど、
と いうよりも あのひとは あのひとなりの何かをまっとうするために
彼にちょうどいいところにいて それは
わたしより上とか下とか そういうことではないんだろう
と いまは思う。 わたしがわたしで在るために
彼が彼で在るためには 一緒にいても どうしようもない。
それと同じで その後ぐじぐじした もんのすごく若い彼
とか その絡みで 異常なほどのスピードで近づき
それと同じスピードで離れていった彼女とも
ただもう それぞれがそれぞれで在るためには
一緒にいることは叶わなかったのだ と ほんとうに思う。
かみさま(の ようなもの)。
わたしはいま わたしがいるべきところにいて
わたしの課題をやっているんだとおもう。
どれだけつらくても どれだけなにがあろうとも
とにかく わたしはわたしのいるここで
わたしのことをするしかないのですよね。
上 とか 下 とか 正しい とか 正しくない とか
なんかもう ほんとうにわたしはもう そういう二分法から解放されたい
し その二分法から解き放たれるための課題をずっとずっと
しているのだとおもう。
つらいことはたくさんあるけど
それでもわたしはあいかわらず中途半端だけれど
でも わたしがわたしであるために これからも
こうやってすすむよ。
がんばります。 わたし を生きます。
0 件のコメント:
コメントを投稿