2014年4月15日火曜日

わたしを生きる

 さてさてもう4月も中盤。 はやいものですね。

 人生はめまぐるしくいろんなことが起きる劇場みたいなもので
じぶんが何かに気付こうと本気で思って見渡してみると
それはそれはもう いろんなことが起きているのです。 ね。

 みんなそれぞれ生きてて ひとはそれぞれ そのひとの何か を
まっとうするために生きてて つい じぶんを肯定したいから
レベルがどうこう みたいなこと 言っちゃう。
じぶんが上で じぶんを苦しめたりなんだりしたひとが下で
とかみたいな。

 でも ほんとうはそういうことじゃないんだ。
わたしはわたしを肯定したいから わたしのいる場所を
上であると思いたい ようなこともあるけど
でも 上であることなんてなくて ただ わたしはわたしの場所にいる
という ただそれだけのこと。


 いる場所が違う という ただそれだけのこと。


 このまえ失恋したあのひとも
わたしよりいろんなことに気付けないひと だから
さよならしたんだ くらいに思っていたけど、
と いうよりも あのひとは あのひとなりの何かをまっとうするために
彼にちょうどいいところにいて それは
わたしより上とか下とか そういうことではないんだろう
と いまは思う。 わたしがわたしで在るために
彼が彼で在るためには 一緒にいても どうしようもない。

 それと同じで その後ぐじぐじした もんのすごく若い彼
とか その絡みで 異常なほどのスピードで近づき
それと同じスピードで離れていった彼女とも
ただもう それぞれがそれぞれで在るためには
一緒にいることは叶わなかったのだ と ほんとうに思う。

 かみさま(の ようなもの)。
わたしはいま わたしがいるべきところにいて
わたしの課題をやっているんだとおもう。

 どれだけつらくても どれだけなにがあろうとも
とにかく わたしはわたしのいるここで
わたしのことをするしかないのですよね。

 上 とか 下 とか 正しい とか 正しくない とか
なんかもう ほんとうにわたしはもう そういう二分法から解放されたい
し その二分法から解き放たれるための課題をずっとずっと
しているのだとおもう。

 つらいことはたくさんあるけど
それでもわたしはあいかわらず中途半端だけれど
でも わたしがわたしであるために これからも
こうやってすすむよ。

 がんばります。 わたし を生きます。

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