2014年4月26日土曜日

夢を見た

 ものすごい夢を見たのだった。

 あぁこんなふうに思い切らないと
わたしは思い切ることができないくらい
やっぱり深くかかわっていたのだな と
おもった。 そのことを 思い知った。

 そして じぶんを正当化したい というか
みとめてもらいたい みたいな 甘えたいわたし
もばっちり夢に出ていて 夢はすごいな
とおもったのだった。

 

 夢に出てきたあのひとは
驚くほどに派手な様子で登場したうえに
とんでもなく自由なふるまいをしていて
わたしをとびこえて勝手にわたしの母親とつながる
ということをしていて、それをわたしは許さず、
夢の中の母親も困惑し 退場してもらう という
そんな夢だった。

 わたしの中の物語は あのひとがわたしの 母的な部分
でもってわたしに引きつけられていたのだな
ということになっているのだ と思った。
母的な すべてを包み込むような部分がないわたしには
意味がないのだろうし わたし自身も そして
わたしの中にあるであろう 母的な部分もまた
そのことをよしとしないでいる という そういうことを
夢があらわしたのだろう。もうわたしは
つぎの局面に進んだのだよ と。

 もちろん あのひとにはあのひとの物語がある。
まったく違う物語だとおもう。

 けれど わたしがわたしの物語を生きるにあたっては
この出来事を わたしはこんなふうにわたしの物語に落とし込み
そうして次の物語を綴ってゆくしかなかったのだろう
とおもう。

 わたしはそれを 選んだのだ。
夢がそのことを 教えてくれた。


 そして 夢ではさらに そうしたことを
まわりのひとに弁明する場面が続いて
そこでわたしは 甘えたいわたし を認識したのだった。





 とにもかくにもわたしは いまここ にいる。
もうわたしは わたしが進むように進むのだし
これからが劈けてゆくこと にもじぶんを明け渡してゆく
しかない。 そのことをやってゆくのみなのだ。


****************


 ところで。

 安売りしそうになっていたひとに
もうそんなことをしなくてもいいんだなぁ と
ちゃんと思えた。 むこうも その気はないよ
って あらわしてくれたし わたしもそれをみて
あぁもう終わったんだな と思えたし。

 じぶんの課題にあったひととしか出会わないし
じぶんの課題をクリアするためのことがかならず起こるもの
なんだな。 なーんて。 事故みたいな ただそれだけ のことも
もちろんあるとはおもっているけれど。


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