2014年4月2日水曜日

葛藤しようぜ

 去年のいまごろにここに書いたものを
ちらちらとながめてみたのであった。

 そうしたら 似たようなことを書いている。
当たり前だけど。 でも ちょっと違う。
すこしずつ 大きいテーマとの向き合いかたや
切り口や とらえかたや そんなものが変わっていて
わたしなりの進み方をしているのだな と
おもうことができた。

 いまでもテーマは やわらかく在ること
主体性をもって わたしがわたしで在る こと。


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 誰かの何かを増幅させて示すこと で
トクベツに思ってもらおうとするようなことはやめたい
と、気付いた去年から言っていて
そんなことはしなくても大丈夫だ とだいぶ
染み付いてきた とは思うのだけれど
そうなってきたときに その感じ と 
場とのバランスがぶつかる感じ が
鮮明になってきたな などと思っている。
おそらく 誰しもがあたりまえに どーすっかなー
みたいな感じで苦慮してスタンスを決めたりしてきたところ。

 わたしは もともと触媒みたいなところがあって
拾って増幅させるのが得意だから そして かつては
それがわたしの存在価値であるとして疑いもしなかったから
あまり葛藤なくそうしていたようにおもうけれど
気付いてみれば 葛藤するものじゃないのこれって という
そういう事ごとであったのだ。

 えーと。 なんていうんですか。 
誰に対してもいい顔 って できないよね
ていう そういう。あたりまえすぎて死にそうなやつ。

 あなたは どう思うの? 
あなたは この人との関係をどうしたいの?

 みんながそのひととどんな関係でいて
どんなふうに思っているか に気付くことも
それはたいせつかもしれないけれど
わたしがどう思うか ということがいちばんたいせつで
そこをあらわすことができない限り わたしはまた
おなじ課題を何度だって ひどいかたちで繰り返すことになる。


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 という ひととして在るときにあたりまえの基礎
みたいなところを わたしはまだやってたりもするのだった。
それでもやはり 去年とは違うわたし。
いまこの瞬間に わたしをとりまく 
わたしの 外的 内的 双方の世界をたいせつにして
起きたことを 起きたこととして受け入れる作業を
これからも。 


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