2014年5月3日土曜日

9年目のわたし

 いまの職場で働くようになったのは8年前の4月で
その頃はまだ30代前半で若かったし 職場にいるかわいこちゃんらと
そう歳もかわらない、つもりでいたし、
時代が変わった感 のようなものもまだそこまで強くなく
じぶんがその年頃だったときのことを思い浮かべて
ただほんとうに見守る感じでいたら 種から芽が出て
たいようにむかってすくすく伸びてゆくように
彼女たちはどんどん育っていった。 ように 思った。
すぐに対等に話ができるようになった。 ように 感じていた。

 それが 数年のうちに ただ見守っていたらいい とは
みるみる思えなくなり、この世界に入ってこようとするときの
前提 のようなものがまったく身に付いていないままに
入ってきてしまう子たちがどうしても増えているように思えてきた。
とある年度を境に うわぁ・・・ と思ってこちらが焦ることや
指導の仕方について試行錯誤することはどんどん増えていっている。
じっさいのところ。

 
 けれども。 そのぶん 前提 とおもっていた
あたりまえ とおもっていた部分を丁寧にことばにして
説明したり 話し合ったりすることが確実に多くなっていて
そのことは わたしを初心に立ち戻らせる。もっというと
わたし を突きつけてくる感じすらする。
わたしが この仕事をどうして選んだのか どうして続ける選択を
しつづけているのか どう感じて向き合っているのか
その わたしの根底 のようなところを
点検し あらためてみる作業をしているに等しいからだ。

 この先こんなかんじの子ばかりふえたら
この業界はどうなっていってしまうんだろう などと
思っていたけれど もしかすると こういうふうになっていっていることで
わたしたちは じぶんの ひとに対する立ち位置や構えや
じぶんの在りかた のようなものまでも強烈に振り返り
考え直すことを迫られ、そこからまたなにかをクリエイトしていくことを
自然とすることになっているのかもしれない。

 なんで知らんの とか なんで考えてないの ではなく
それを「体感として知っている」ようにおもうじぶんや
「考えている」ようにおもうじぶんを徹底的に振り返り、
もっとブラッシュアップさせたり
知らずに慢心している部分を正直に反省してあらためることを
わたしはいま 求められているのだろうとおもう。

 そんなことを考えていたら やっぱり わたしがやるべきことや
わたしに必要なことは わたしの目の前にあるのであって
そのことごとに真摯に取り組んでゆく以外にないのだなぁ と
またしみじみと思ったのだった。

 これが起きてよかった とか そういうことではない。
とにかく ことがあった。 ことが生じた。 そのことを
とことん体験し、そこを生きなければ 
わたしがここにいる この世界に在る理由はないのだろう とおもう。


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