2014年5月10日土曜日

まだまだ未熟

 まだまだ だなぁ って おもう。

 数年前のことを考えたら いまのほうがずっと
いまのじぶんを肯定しているし、まいにちがたのしい けど
けど まだまだ 周囲のひとたちを うらやましい 
と思ったり 焦ったりするきもちが ゼロにはなっていない
のを感じる。


 まず。 フラ教室の仲良しは わたし以外はみんな
大きい大会のようなものに出ることになっていて
もんのすごく練習をがんばっている。 
練習はほんとうに厳しいのを漏れ聞くし、実際
それについていこう って 必死にがんばっているみんなを感じる。
わたしはそれに遅れないように とおもう けど
おもうだけで 正直 彼女らにみあう練習を独自にしているか
というとそんなことはなくて だから さらに差は開く一方なのだった。
がんばってもないのにバカかおまえ っていうね。
みんなの それにかける感じ に びくびくするところも
ないではない。 場違いなことを言ってしまわないか
とか 何を言っても どうせ出ないひとにはわからないよ て
なるかな とか。  で、そういうことを思いつくということは
逆の立場になったとき わたしは どうせわからないよ って
思ってしまうかもしれない ということなんだろうなということもわかっていて
そのことにも落ち込む。 ダメだなー おれ。

 もうひとつは 高校の同級生がこのたびはじめてのご懐妊
ということ。 ほんとうにうれしい って思うと同時に
わたしはもう そういうことがないに等しいんだな と
思って ちょっと悲しくなったりしてしまうこと。 
受け入れられてないのかな。 ただ 身体の機能として
もうお子のもととなるものがないかもしれない 
というだけでなく そもそも パートナーもいない。

 まだまだこれから(恋愛的に)いろんなことがあるだろう
と思いたいわたしと 思うわたしと そう思ってるうちに
どんどん時が過ぎて 結局なにもなく終わるかもよ
ってささやくわたしがいる。



 だいじょうぶ わたしはどうあってもわたしだし
わたしとして生きてゆける

 と 8割くらいの割合でわたしのきもちは思っている。
けど、のこりの2割には どうしようもない不安と
どうしようもない劣等感と どうしようもない羨望が
やっぱり残っている。 ということを 認めざるをえない。

 ほんとうにださい。 たとえば パートナーができても
いつどうなるかわからないんだし お子ができても
わたしが安泰なわけではないんだし そんなことはよくよく
わかっている。 フラがもっと上達したところで
上達したなりのなにか がかならずやあるだろう。

 目の前のことを 目の前に起きた通りに受け入れ
すべて経験しつくすしか方法はないのに。
そのわたしに起きることごと わたし自身に
わたしを明け渡すしかないのに。


 この わたしのださい焦りと不安。
これすらも わたしは無視せずに なかったことにせず
生きていくしかない。かっこわるいわたしを認めて。

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