2014年5月17日土曜日

そういうこと

 いいわけのように いいきかせるように
いまこれはこれでじゅうぶんたのしいんだけどね
と わたしは言う。

 半分 いやそれ以上 本当なんだとはおもう。
踊っているとき ともだちと会って酒など酌み交わしているとき
走っているとき 本を読んだりしているとき
仕事をして集中しているとき 
わたしはいままでの人生になかったくらい それらのことを
こころからたのしんでいるし さみしいとか 漠然とした不安とか
そういうものはずいぶんと 影をひそめている。

 痛々しいほどにこじらせていた若いころも
もちろんそれなりにはたのしいこともあったし
けれど全体の色としてはどんよりしていて
あの頃とくらべたら わたしはずいぶんと
息がしやすいひろいところにいるなぁ とおもう。

 であるのだがしかし。 

 すこしばかり気付いているのは
なんだかんだいって 色情で身を滅ぼす と
ちびっこのわたしが占い師に宣言されたとかいうそのことを
わたしはどこかでひきずっているのだな ということ。
それがあるから? わたしはじぶんがたいそうもてないとか
パートナーが結局いまもみつからないとか
そういうことについて ものすごい負い目 というか
じぶんはダメな人間なんだなぁ とか思っちゃって
とか パートナーが一生いないのはさみしすぎるし
もしかしたらそれだって可能性としてありうる ということを
ほんとうは恐ろしくおもっている ということから
抜け出せないのでは みたいなことをおそれているのだ。

て なんだこのわかりにくい文章は。

 えーと。 彼氏ほしいなー とか パートナーがいないのは
わたしがダメだからだ とか そういう ちょっと恋愛的な何か
に とらわれていることを 格好わるい とか思っちゃってる
そのこと自体がおそらく 色情で身を滅ぼす と言われたことの
ほんとうの意味なのかな というか。

 そのへん 抜けたらいいのになぁ といまはおもう。

 彼氏欲しくていいじゃん。 色情上等。
ていうふうに 言えるくらいになったらきっとそれは
それも ともかくもういまあるようにやろうよ っていう
そのこととおなじになるんだとおもう。

 格好つけて どーでもいいふり とかしてるけど
ほんとはぜんぜんどーでもよくない。 
けど さみしさだけで ジョシ扱いされたことが
ものめずらしいだけで すがっていくようなことは
もうみじめすぎるからしたくない。 

 て 書いてみると 当たり前のことだし
いいではないかもう。 そういうことなんだから。
みずからを おんな と認めて さらには
その価値 みたいなものをだいじにしてもいいんじゃない
って思ってからまだ日が浅いから もろもろの処理が
へたくそなのは仕方ない。

 ということで まぁ日々は過ぎます。
わたしはまだまだ 解き放っていくよ。 まぁ見てなって。


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