もうあっというまに世の中は9月で秋。
諸行無常 なんだけどさ
そういうことは わかっていたけれど。
これでいい というのと いやいやちょっとまて
というのと その分量がどのくらいでやっていくのか
は ほんとうに難しくて でも そのさじ加減こそが
じぶんのじぶんたるなにか を如実にあらわしていて
それこそが わたし自身 なのかもしれない
などとおもった。
言い訳みたいになっちゃうけども
わたしはわたし以外の何者にもなれない。
ちょっとまえ までの人生において
おのれの小中学校でのいけすかない態度丸出し
が原因でいじめられる というとき以外で
誰かに爆発的に嫌われる ということは
なかったとおもう。 のだが
そういったことがここ数年で
それこそ爆発的に生じたのには
とても意味があったとおもう。
わたしの触媒的なぶぶん が
爆発的に嫌われる ということからわたしを遠ざけた。
けれど わたしがもともともっている何か が
あらわれたとたん やっぱり爆発的に嫌われる
という事態が あきらかに 生じたのだ。
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多くのひとに 明るくなったね と言われる。
そうなんだろうとおもう。 わたしの顔も
わたしから醸し出されるなにかも
3年前や2年前とは 違って来たのだろうとおもう。
それはわたしがもともと持っていたなにか で
しかしそれとひきかえに わたしは触媒的に
生きていたころのなにかをなくしたし
その在り方でつながったひとと別れなければならなかった。
きっと それとは別に わたしをキライだとおもうひとも
かつてより増えているのではないか とおもう。
そのかわり わたしをこのましく感じてくれているひとも
かつてより増えているのではないかな ともおもう。
ひらく とはそういうことだろう。
おなじようなことをここでも繰り返し書いているけれど。
わかっていても 終わる ということは
かなしくさみしいものですね。 あれだけ強固におもわれた
そういうものであっても やはり その とき が
すぎれば 終わるしかないこともあるのですね。
わたしがこのわたしでやっていくしかないのだ
ということを わたしが感じたことから目を背けても
どうしようもなく だからやっぱり このままいくね と
それをこうして表明しているだけなのだ。
わたしの さじ加減 を常に考えながら。感じながら。
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