2013年3月10日日曜日

矜持

 矜持 ということばがある。

 このことばを知ったのはいつのことだろう。
高校生だか大学生だか そのくらいの頃だった
ような気がする。 ゆうめいじんか誰かが使ったのだったか
教科書のなにかに出てきたのだったか
もうはじめてきいたときの詳しい状況のことはわすれてしまったけれど
はじめてのときの なんかこう 身が引き締まるような
というよりも こんなことばをきちんと使えるオトナに
わたしはなることができるんだろうか と考えてくらくらした
その気持ちのことをとてもよく覚えている。

 いまでも 矜持 ということばを思い浮かべると
ちょっとまごまごしてしまって おてんとうさまは見てるわよ
とか言われでもしたかのような なんだかこう
落ち着かないこころもちになるのだった。
はたしてわたしは このことばをきちんと使いこなすに値する
そういうにんげんになっているのだろうか?


 くらくらしてしまったほどだから
このことばに対しては そこそこの 思い入れ が
わたしにはあるのだろうとおもう。 が 最近なのだ。
やたらと「矜持」がわたしにおりてくるのは。
そして わたしはまだ 自信をもって
矜持 を使いこなせるわたしです! とはとても言えない
そういうにんげんでしかない とおもう。

 ほんとうに 最後のところで甘い というか
すっとうつくしい立ち姿をたもってさいごまでそこに在る
ということがどうしてもできなくて
つい ぐにゃっとしてしまうのだった。
ぐっとこらえることが やっぱり苦手なのだった。

 そして いちばんダメなのは こうして
苦手なのだった とかいってまだやってる という
そういうところなのだろう とおもう。

 
 去年はどうしたって苦しかった。苦しいなりに
わたしとしてずいぶんがんばった というところもある。 
が やっぱり がんばりきれずに おかしなところで
格好わるいところを山ほど露呈してしまった ともおもう。
そのたびに わたしのアタマにおりてきていた
矜持 ということば。

 これまでの人生で 矜持 ということばを気に留めたのは
はじめて知ったそのときだけだったようにおもう。
それが この1年間は かなりの頻度で
わたしは 矜持 ということばを脳裏に感じていた。



 そろそろ わたしの感情が とか きもちが とか
そういうことだけを言っていないで わたしがどう在るか
ということに もっと真剣に取り組みなさい というしるし
なのかもしれない。

 きょうもわたしは 矜持をたもつことができなかった。
わたしが在りたいわたし と きょうのわたしの態度は
遠く離れていた。 泣き言のようなものを言って
わたしがこういういまに在ることを 許してもらおうとしたのだろうか。

誰に?




 

 わたしを許すものがあるとすれば それはわたし自身でしかなく
それをほかの誰かにしてもらおう なんてほんとうにひどい話だ。

 これからのわたしが 矜持 ということばを使いこなすに値する
そういう人物となってゆけますように。



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