2014年2月16日日曜日

かんがえてみたりかんじてみたり

 やっぱり 切る ていうのは苦手だな とおもう。
切ることができないから 続ける理由を思い込んで
みょうなかんじにのめりこんでいく ということは
もう する必要はないから やってないとおもうけれど。

 このたびのミッションはなんだろうか。
なんとなく切らずにいたら それなりのなにか は
出てくるのかな。 もうすでに こういうふうにやってる感じが
あたらしすぎて 驚くんだけど。

 ということで こういう面ではまだまだ
思春期青年期の課題をやってるんだな とおもいます。
まぁいいか。 あたらしい感じはたのしいんだよね ちょっと。
こころのこえ みたいなものを無視しきらないこと
思い込もうとしないこと を目標にしようとおもう。



 さて。 いろいろ気付いてきたところで
やっぱり これでいい ということはないのだろうとおもう。
またつぎが出てきて 気付くべきものに気付いて
それと対峙することになる。

 外向 とか 内向 というかんがえかたがあって
わたしはじぶんが 内向 だとおもっている というか
内向でありたい ようなところがあった。

 それはそのまま 放っていたんだけれど
きょう読んでいた本に 外向にしろ内向にしろ
対象に向かう という点では同じだ というようなことが
書いてあって あぁほんとうにそうだなぁ
おなじことなんだよなぁ とおもったのだった。
おもいいたったのだった。

 内向でありたい 内向である とおもっていても
うちにあらわれるモチーフや感情やイメージといった
意識しているこのわたし というものとは離れた
対象 と出会うことになるわけで
それは 外向 といわれる まわりの人とか
出来事とか そういうものから じぶん というものを
感じ取りつくっていくことと
本質的には同じ作業なんだな みたいなね。

 外のことであろうと 内のことであろうと
生じたものに真摯に なのだよきみ。
だから わたしは 内向でありたい とおもうこともないし
もう両方がある。あたりまえだな。ははは。

 開いてこ。 あらゆる方向に。


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