2014年2月23日日曜日

ことばのこと

 わたしの ことば過多 な性質は
歳とともに目立たなくなっていっている ような気がしなくもないけど
でも こうしてBlogに長文を書きつけてみたり Facebookにも
そこそこな口数でものを言っているところを見ると
やはり ことば過多 な方であることにはかわりがないのだと思う。

 わたしはプロになることができるほど文章が上手なわけではないけれど
素人としては そこそこ みっともなくない程度に文章を書くことができて
それもあって むかしから BlogをしたりTwitterをしたりすると
コアなファンのようなひとができたりしたりもした。
そこを入り口として 仲良くなった(しかも相当に)ひとたちもいたし
わたしの ことば というものは わたしをつくる かなり
重要な要素だった とおもう。 わたしのことば によって
わたしはいろいろなひととの関わりを得たし、ことばがあったから
つながったひとたちがたくさんいた。

 ことば というのは それを発しているひとの感じとか
そのたたずまいとか そういうことと 
わかちがたく結ばれていて なので いちど 
発しているわたし本体 についての価値に疑問が生じたらもう 
そのわたしが発することば には まったく意味がなくなるし
それどころかおそらく それまでに発していたことばたちも
空虚で 何の意味もない 陳腐で残念なもの に
なってしまうのだろうとおもう。

 あたりまえだけど。 そういうのもぜんぶ
決まっていたことで それをどういうふうに じぶんのものとして
受け止めて 活かしていくのか ということだけが
わたしにできること。 おなじようなこと何度も言ってるけど。

 いまのわたしが なにをどういっても
こころの奥に通じていない ことばあそびをしているにすぎないのだ
としか思わないひともいるとおもうし そう思われるに至ってしまったのは
もうどうにも致し方ないことだとおもう。致し方ないことだけれど 痛い。

 こういう思いとかすべて ぜんぶぜんぶを やってゆくのが
じんせいで わたしをまたわたしにひとつ近づける
唯一の方法なのだとおもう。 そしてその過程にあって
わたしはいまも こうして ことば をつかう。
ことば も つかう といったらいいのかな。 がんばろ。





 

 

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