2014年2月25日火曜日

ことばのこと その後

 ことばについて をせんじつ書いて
それを読んでいて あぁそういえば はじめてBlogを書きはじめたのは
まだケッコンしていて そして ことば を封じられている気がして
つらくてつらくて仕方がなかったときだったな というのを
あらためて思い出した。

 わたしはことばを使ってこそわたしで 
ことばはわたしをいつも守ってくれたし
わたしはことばの内側にいた。 だから
ことばを煙幕みたいにして わたしはわたしを
見ないようにもしていたし その あやふやなことばから
わかってほしい とばかりおもっていたし
ことばのとげで どんどん相手を刺すことだってできた。

 ことば はわたしをあらわすときの
中心にあって そこからわたしは成り立っているかのようだった。


 けれども。 いまはもうわたしは
そんなふうに思わなくてもいいし 
わたしのことば を気に入ってくれるかどうか とか
わたしのことば じゃないところを気に入ってほしい とか
そういうことから 気がつけば 抜けているのだな
とも おもった。

 もちろん わたしの発することばをすきだ と言われたなら
それはうれしいことだけれど、
それが わたしを知ってもらうときの おおきな必要不可欠な要素だ
ということは もうないなぁ というような。

 どこをどういうふうに知ってもらうのか
見てもらうのか わかってもらうのか は
ひとそれぞれで そういうことをもうたのしんでいこうじゃあないか
ということをね、 て超遅い気づきだが。

 ことば も つかう と書いた。そのとおりで
これからもわたしは ことば とつきあっていく。
でも もう いろいろと解き放たれていいのだ。
さまざまな痛みは 解き放たれてゆくときに
どうしたって 生じた何か だ。 だからいい というのでは
なくてね。 ここ重要なのだけど。

 わたし は わたし だ。
わたしらしいなにか ではなくして。

 

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