何かコトが起きたときに、どうしても じぶんがまちがってたとか正しかったとか
そんなあまり意味のない基準でじぶんを防衛するしくみを発動させそうになるんである。
全面的にいい も 全面的にわるい も実は同じことで、
そうして固まった時点で思考停止で、何かに発展する芽が
絶たれてしまう感じがする。
といって、正しいとか間違ってるとかじゃないんだよ
両方に何かあるんだし、
のとこで終わらせても それはまた
思考停止 なのだった。
起きた(ている)事態のしくみやなりたちを、なるべく把握しようとすること、
その中で、みずからが引き受けるべきことを引き受けて真摯におこなうために、
考え続け、感じ続け、そして 問い直すことを
やめないでいたいなぁ、と
おもうのだった。
という一連のいとなみを、
引きずるとかそんな残念なことにすることなく
放棄という残念なことにすることもなくおこなう
というのは ほんとにたいへんだなぁ、とおもうけれど、
そういうふうに在りたい 在ることができたらいいな、とおもう。
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