2013年5月26日日曜日

高校のクラス会

 きのうは高校のクラス会が開催されたので
はるばるとうきょうまで出かけてきたのだった。

 ちょっとまえまでFacebookがこわいとか言って
つまりそれは おのれがこれまで通ってきて そして
現在も住んでいるはずの リアルの世間がこわい 
と言っていたのと同義なんだけども まぁともかく
びくびく過ごしていたわけですが。

 ここさいきんの じぶんの開けっぷり からすると
このクラス会という行事はたのしみ以外のなにものでもなく
実際 とてもとても たのしい時間を過ごすことができました。

 高校の同級生 というのは 当時まいにち顔を合わせて
行事を一緒にやったり 席が近くになって話したり 
などして仲良くなる あんまり利害関係とかのない
そのひとのもともとの「感じ」とか「たたずまい」のようなものが
じわじわと出ていて、そういうものを日々感じあう関係
であるようにおもいます。(なにこの日本語。ひどーい)

 もちろん 当時おとなしかったひとが
いまではそんなことなく話すようになっていたり
よく話していたひとが 比較的控えめな語り口のひとになっていたり
ということは あるのだけれど、そういう
わかりやすく表に出る何か とかではなくて
もともと持っている「感じ」と「たたずまい」は
当時とあまりかわらずにそこに在るものなのだなぁ と
そんなことを感じました。

 そしてそれは きっとみんな 社会的な何か というのを
ちょっとはずしたところで 何かを開いて
こういう場に参加するようになっているのからなのかな
なんて思ったり。 想像していたよりずっとずっと
みんなが当時のあの感じのところを保っていまに至って
そこでトモダチでいようとしている みたいなことを思って
ほんとうにうれしいきもちがしたし たのしいこころもちになりました。

 さらに 20年以上の時を経て お互いに人間関係のスキル
みたいなのを身につけていることもあるからなのか
当時そんなに話さなかった(話せなかった)ようなひととも 
ものすごくたのしく話せたり
あのときには感じなかったような 新たな何か を感じるようなこともあって
オトナになるってほんとにほんとにすばらしいなぁ と
感じ入っていたのでありました。

 ずっとまいにち一緒にいるとき というのは 確かに終わってしまったし
これから先 そんなことがあるわけではないけれど
そういう時間をすごした相手 として たいせつに感じられるというか。

 いつもいろんなことすべて あたらしくなっていってるけど
それは こうして変わらない何かがあって そこにいろいろなものを
積み重ねていっている ということなのかなぁ などとも
思ったのでした。 あたらしいわたし というのも
あの頃のたたずまいと わかちがたくつながり 結ばれているのだわ。

 
 次に会うときはどんなふうなことを思うのかな。

 その日までまた わたしはわたしのことを わたしなりに真摯に。

 



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