2013年1月4日金曜日

しつくす ということ

 やはりいまのわたしは
なんにしても アタマで考えてわかったつもり になるだけでは
なにひとつわからない という そういう時期のようだ。

 どう考えても ダメだろそれ というか
じぶんがむなしくなったり がっかりしたりするだけだとおもうよ
みたいな そういうことがアタマでわかっていることでも。

 で 身体を通して体験すると
結局 アタマで考えていたとおりだったりするところが多くて
バカ としかいいようのないこと だったりするのだけれども
それでも やっぱり 体験すると すごくよく
わかるのだった。

 秋に 3年ぶりに別れた恋人と会って あぁもう2度と会うことはないな
と思ったときのように。

 わたしはこのたびまた 実際にバカだなー てことをやって
ああそうかやっぱりそうだよね ということを確認できた。

 えーと。40にもなって みっともないですけど
大事にされない(というのともちょっと違うんだけど)関係 というのは
ものすごく 消耗しますね。 ものすごく 無駄ですね。



 


 お互いの いる環境が とてもかわってしまった。
それでも いちどはほんとうに深く知り合った同士だから、
いまのことでも とてもよく わかるところもあった。 
でももう わたしたちは 遠いところに きてしまったし 
相手にとってのわたしは むかしのままに甘えさせてくれる都合のいいひと
という色だけが とても濃くなってしまったのだ。
彼が むかしのように わたしを思いやることは もう ないだろう。

 そして わたしはもう ただ甘えられてうれしいわたし というのから
ほんとうに卒業したんだな ということが よくわかった。

 相手の物語では 相手もわたしに 与えている
ということになっているけれど。おそらくそれは 甘えられ頼られる
という そういう役割を与える ということによって。 
でも 申し訳ないけれどもう わたしにとってそれは
あまり意味をもたないことに なってしまっているし
そういうふうに 上から思うものに わたしは反応できないし
彼はもう わたしをそういうふうにしか 思いやれなくなっているのだ。

 だいすきなひとであるし もう何があっても
そのひとがそのひとの人生をまっとうしてほしい と願う
わたしのこころからのきもちと愛に こうなっても ぶれはなかった。

 なかったけれども もうわたしは 実際的に甘えさせてどうこう
ということをやってる場合ではないし それでは
わたしが消耗するばかりだ。

 ほんとうに次にきた。 わかっていたのに。
わかっていたのに ほんとうに確かめないとわからないなんて。
でも ほんとうに確かめて次に進むだけのちからを
わたしは身につけたのだろう とおもう。

 さようなら。一昨年までのわたし。


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