2013年1月23日水曜日

こころのこり

 なんだかんだいって Twitterをしてた頃についての
こころのこり というか いまだ 消化しきれていないできごと
というものが 実はある。

 誤解されたり あるいは 理由もわからず のうちに
突然に嫌われてしまって ブロックされたりリムーブされたり
ということが 2回ほどあったのだ。

 あまりやりとりをしていなくて というひとにそうされる
というのなら まぁこの口数の多さとかそういうのが
気に入らなかったんだね 縁がなかったということで じゃ
などと気にせずに流すところであるが
この 2回 というのは 双方 そこそこ
なかよくしていて やりとりもしていて というか
あまつさえ 会ったことすらある そういう相手からのそれで
なので さすがのわたしも当時たいそうへこんだものだった。

 1回目は 先方の状態と じぶんの当時の感じをあわせもって
考えてみるに 具体的に これを誤解されたんだな という理由があり
起こるべくして起こったできごと としてわたしに刻み込まれた。

 わたしの肥大した何か と 先方の弱ったところ が見事に合致して
コミュニケーション不全を起こしたような感じだった。 
それは そのできごとが生じるあたりの頃から
当時の恋人と 実はうまくいかなくなっていたわたしのダメなところ
というか 傲慢だったところ みたいなのとわかちがたく結ばれた
そういうできごとであったとおもう。 もちろん なんで? みたいな
ことではあったけれど わたしの傲慢さや 自己中心性の芽が生んだ
そこをクローズアップされることで生じた 警告のようなことであったのだ
とおもう。

 2回目は だいすきなトモダチ経由で知り合ったひとで
Twitter上でも友好的なやりとりがあり じっさいにお目にかかったときも
特に問題なく どころか あぁ仲良くやっていけそうこれからも
という印象を持ったし その後もそのつもりでやりとりをしたり
彼女のTweetをながめたりなどしていたのだ。

 ところが。 ある日突然 わたしは彼女からリムーブされていた。
@の返事がこなくなってそのことに気づいたのだ。

 彼女と仲良くなった当時のわたしは 
その 上に書いたひととの恋が終わって
もうなんか とんでもない状態 にあった。
じぶんが這い上がるのに必死で うっとおしいことや
かんがえたこと おもったこと かんじたこと すべてを
Twitterに書き散らしたり そのことがイヤになって
しばらくTwitterから離れてみたり など
さまざまな悪あがきなどをしていて そのすべてを
彼女はあたたかく 要所要所ではげましながら見ていてくれた
そういうひとであった とおもう。

 それが。その いちばんつらかった いちばんTwitterで荒れた
冬と春が過ぎて じぶんがもう かつてほど書き散らかす
ということがなくなった というときに わたしは彼女から
愛想を尽かされたようなことになった。

 まだまだわたしは傲慢なところがあったとおもうし
わたしはじぶんの課題にきちんと向き合えていない感じも
あったかもしれないけれど 正直 何が彼女のこころに障り
もう2度とつきあいたくない という気分にさせてしまったのか
わたしにはわからなかった。 いまも わからない。

 そして なぜ ということを彼女にたずねて 関係を修復させよう
という努力を わたしはしなかった。 


 たずねてみたら 小さな誤解 だったりするかもしれない。
はなせばわかる ようなことだったりするかもしれない。

 けれど どちらにせよ そのようなものを生み出してしまった
当時のわたしには そのことに相応するなにか があったことは
確かだなのだ とおもう。

 そういうことが 2回も 短いあいだに起こった という
そのことに わたしのいろいろ が集約されていたのだ ともおもう。

 1回目のことから想像するに 2回目のことも
きっと わたしの傲慢さや 知らず知らずに当時出ていたのかもしれない
他罰的なところ みずからをほんとうの意味では顧みることが
できていなかったことから起きていたのだとおもう。

 まだ消化できていないし まだほんとうには
納得のいく理由(わたし側の問題の)に至っていない。

 特に後者の彼女は たいせつなトモダチの 
たいせつな友だちだ。 なので いつか 和解できたらいいな
とわたしは願うし そうできずとも このできごとを
いつかきちんと じぶんの物語に落とし込みたい。

 イヤな思いをさせた ということは実際起きてしまったことなので
そのことは謝りたい。 けれど それが通じなくても
わたしはこのことを わたしなりにしっかり閉じる作業を
これからも続ける。

 

 

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