2013年1月6日日曜日

走ったご利益

 2013年になってはじめて 走ってきたのです。
年末年始 風邪ひくわ 指削ぐわ なんかもう
全然走ったりできなくて どころか 12月はずっと
風邪ひきっぱなしだった気が。 おかげでもう
走るのは2週間以上ぶり となってしまいました。

 とはいえ まだ鼻も出るし ちょっと喉も万全とは言えない
という感じではあったのだけれど きょうはどうしても
走ったほうがいい とわたしの中のどこかが言うので
いうことを聞いてみたのです。

 で。 走って正解。 まぁ走らなくても
いずれ きのうおとといからのうつうつに 
わたしなりのこたえ は出たのかもしれないけど
走ってるうちに それはやってきました。

 おあいこ じゃん。

 あぁなんで気付かなかったかな。
もうむこうがわたしを むかしのようには思いやらないとおもう
とか そのあたりはそのとおりだとしても
このたびのことは 前回わたしがしたことの
逆になっただけ のことじゃないの ということに
走っていたら突然気付いてしまいました。

 あたらしい恋が終わったばかりの彼は
どうやらじぶんを憎からず思っているらしいわたし に
甘えたわけですよ。 ま むこうにとって
どういう物語になっているのか わからないけど
わたしの中の物語には しっくりときたのです。

 恋愛どうこう というはなしではなく
いまの生活というかそういうことについて
ほんとはもっと いろいろ聞いてみたいこともあったし
きょうのわたしなら こう応えているなぁ ということ
こう話ているなぁ ということもあるけど
わたしはそういう がっつり気持ちをぶつけ合うような
むこうにもちょっとは響くようなことを
言うことはできなかった。

 でももう そういうことなんだろう とおもう。

 もし 縁があれば またそういう話ができるように
なるかもしれないし むこうがわたしを
もう響かない相手 と片付けていても それはそれだ
と思うし もうどっちでもいいなぁ と
きょう 走りながら おもったのです。


 長々と手紙なんて書いたときは あれで最後だ
とおもったし 一瞬会ったときは 会えてはなせてよかった
とおもったし でも こんなオチがつくほどのことだったとは。
で ということは これがオチなのかどうかも わからない。
まだまだ わからない。

 人生はほんとうにわからないですね。

 でも なにがあっても それはもう わたしが引き寄せている
というか わたしがなんとかするためのもの。

 このたびは というか いま わたしは
あいてがどうだったから とか そういうことを
ちっとも考えてなくて なんというのか
わたし自身のこと として考えることができている。
おあいこ だとしても それはわたしが
その おあいこ をさせるだけのものを
引き寄せているわけですからね。 
そこをはずしていないのは よかったとおもっている といいますか。

 もちろん よかった だけのこととは到底 思えないけども。
もっとかっこよく 苦しみながらも 表向きは
きっちりきっぱり処理をしているひとはたくさんいて
わたしのように こんなことまでしなくても
こんなことは 考えたり感じたりするだけでなんとかしたり
ということを もっとできてもいいのだろうけれども。

 情けない けど なんか40あちこちになって
人生にこんなにものすごい展開があるとか ほんとに
想像だにしていませんでした。

 やり抜きますよ。わたしの人生というプレイを。


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