2013年1月20日日曜日

あとかたづけのしあげ

 いまやっていることは お祭りのあとかたづけ の
仕上げのようなこと 点検のようなこと なのだろうな
と ぼんやりとおもっている。

 2010年と2011年は わたしにとってほんとうにお祭り騒ぎのような
いわば ハレ の2ねんかんだったなぁ ということを
ここでも何度か言っているし いまでも繰り返し思い出す。

 お祭りが2011年の終わりとともに終焉をむかえて
わたしは去年いちねんかん 必死でそのあとかたづけをして
ようやく そのかたづけもだいぶ終わって あとは
その残滓のようなものとの決別の儀式 みたいなことを
丁寧に(というとわかってやってるみたいだけどそうじゃなくて
ことが起きてやらなきゃならないことに気づくみたいな感じだけど)
やってきたのだとおもう。

 この3年でわたしが経験したことは もちろんそれまでの人生のながれを
見事に汲んでいる とおもうけれど それでもなお
わたしの人生にとって 画期的で アクティブで 斬新なもの だった。

 




 
















 繰り返し思い出す と書いたが その思い出しかたは
どんどん変化していっている。

 去年の最初のころは これでよかったのだ と思いつつ
やっぱり あの夢のようだった2年間に戻りたい というような
そんな思いが わたしのこころの奥にはあった。
それがだんだんと うすれてきて というのはウソで
うすれてしかるべき という思いに動かされた時期があって
でも ほんとうは夢のような日々に お祭りの日々に
戻りたい気持ちがあるのだ と認めつつ思い出す時期があって
そうしてようやくようやく いまは 戻りたい 
というような感じはなくて けれど 夢のようだったあのときを
わたしは確かに生きていたんだな というその 事実 が
わたしのなかで 過去の事実 としてしっかり存在するようになってきた
というような そういう思い出しかたの変遷 があった。

 お祭りはお祭りであって 決して日常ではない。

 わたしはお祭りだったあのときを 日常にすることはできなかったし
あれはわたしの日常たり得ない出来事だった。 しかし
お祭りはわたしの人生に必要だったし あの日々があっていまがある
ということはまぎれもない事実だ。

 ともかく。

 わたしはお祭りのあとかたづけを終えて つぎの日常へ
お祭りではない日常に しかし よくみるとお祭りよりもずっと
たいせつなことがちりばめられている日常で生きてゆくのだ。

 とか書いちゃってもう。 ね。あはは。
みんなそういうことをあたりまえに生きているのにね。




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