2012年11月11日日曜日

かっこわるいあめのひ

 朝からあめが降っていて きちんと起き上がって活動する
というきもちにはとてもなれなくて うつうつと過ごしていたら
あっというまに夕方になっていて もうあとはいちにちの終わりを待つばかり
という時刻になってしまった。

 そういえばこんなふうに ある意味不毛に なにもせずにいちにちを過ごす
ということが 何年か前までのわたしにはよくあった。

 遠距離でつきあっているひとがいて そのひとが月に1回くらい
会いにくるという そのとき以外はほぼ 誰かと約束したり 
ということもなかったし、走ったり 踊ったり もその頃はしていないから
休みといえば 家にじっとして うつうつとしていたように思う。

 それが変わったのは お祭り になった ちょうどいまから
3年前くらいの頃から だった。 Twitterをやりはじめて
ひょんなことからいろいろなトモダチができて 
いろんなひとと会う約束をしては外に出て行くようになった。
しかも おつきあいするひとができたりして それがまた
遠距離だったものだから まいつき交代で 東京に行ったり
東京から彼が来たり なんてこともしていて だから
土日はだいたい 何かしら出かけていたんじゃないか とおもう。

 去年のいまごろ その彼とも別れることになって
それからつい最近までも わたしが寂しくないようにしくんでくれたかのように
いろんなひとが声をかけてくれて なんとなく 毎週のように
どこかに出かけて行ったりしていた。 つい先月くらいまでは。
γ−GTPの値がどうかしちゃうくらいに 外でよく 誰かと飲んでいた。

 その波が 最近途切れてきたなぁ とおもう。
わたしはまた 予定があまりないわたし に戻りつつある。

 それでも 走ったり踊ったり しているので 当時と違って
まったくなにもしないで過ごす ということは少なくなった。
けれど 今日のようにあめが降っているとそうもいかず
ひさしぶりに 起きているのに何もしないでうつうつしている
という休日を過ごしたのだ。



 そうなってみて気づいたのだけれど わたしは基本
くるはずのない何か を つい 待ってしまう というところが
あるのかもしれない。 根本的な性質に そういうところがある。

 むかし じっとしていた頃も いまも どこか
なにかおとぎ話のような 魔法のようなことが しらない間に
起こったりしてほしい というようなことを 思っていたのかもしれない。

 いま わたしはその おとぎ話 のようなことがほんとうには
あるわけはない ということを ほら みたいに確かめているところ
という感じもある。 もちろん そんなことよりも
日々のくらしで起こる事ごとすべてが ほんとうは 
おとぎ話かのように 魔法かのように ミラクルで満ちているのだ
というそのことに あとすこしで たどり着けそうなのだけれど。

 でも そういうかっこいいことを言い切れてしまうまえの
まだ ぐずぐずっとした それこそ いつか王子さまが
みたいなことをどこかで夢見ているようなところが まったくないとは
どうも言えない状態の そういうわたしであるのだ。

 かっこわるいですね 猛烈に。

 そのことをだいぶ自覚せざるを得ない あめの日曜日だった。

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