2012年11月7日水曜日

うみだされる

 先日 危険なメソッド を観たはなしは書いたけれども
そのブームに乗って 同じテーマの本「秘密のシンメトリー」(A.カロテヌート著)
購入して読んでいるのである。

 エピソードはだいたい映画で観たのと同じなのだけれども
そのあたりの詳細なものがびしっと載っていて 
ユング・フロイト・シュピールラインのこころのすさまじい動きと
そこから何かが生み出される感じが伝わってきて ぞくぞくする。
そして 生み出されるかたちになるまでに それなりの年月を
要しているあたりにも 深く感じ入る。

 読んでいておもうことは 映画を観たときとおなじで
なにごともじぶんで体験しつくさなければ 何かが生み出されることはない
というそのことに尽きる。 高見の見物をして ひとっつも傷つくことや
ナマで味わうことなく 何かを本気で打ち出すことは できないのだな
という そういうことだ。

 正面からぶつかるのが正解 という意味ではない。

 あたるにしても よけるにしても 少しずつ関わるにしても
ともかく 目の前の対象自体にコミットする ということだけを
よしとする のではなくて
目の前の対象について体験しているというそのことにコミットする
というのか。 あーうまく書けない。 でもともかく そういうことだ。
そのことを体験している 経験しているわたし にちゃんとコミットすること。

 わたしはそれをいま きちんとできているだろうか。

 と 振り返ると同時に 振り返るまでもなく そうできていないものは
結局わかった気になっても手痛いしっぺ返しがやってきて
何度でも ちゃんと経験しつくせるまで 経験させられることになるから
ま いいんだけども。

 わたしがこれから わたし自身の人生を生きてゆくにあたって
仕事をおこなうにあたって もうそれは かならずそうなることなのである。




 ところで。 手放せない という感覚からようやく抜けた例の件は
相手にとっても もっといい思い出になったかもしれないことを
台無しにしたのかもしれない と思ったりもしたけれど
それをまっとうするほど わたしはオトナではなかったし かっこよくもなかった。

 いつか 相手にとっても 残念 とかじゃなくて
あんなこともあったなー とおもえるようなことになったらいい。
そうなってくれたら ほんとうにうれしい。

 このことも この過程そのものにコミットしていけている感覚が
いまはある。 この感覚だけは のがさずにいこうとおもう。
そうすることでしか なにかを生み出す芽にはならないし
せっかくだったら なにかを生み出す芽になってほしい とおもう。


 

 

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